小学校社会科学習資料 わたしたちのきょう土 会津坂下町 - 083/110page
水害とたたかった人びと……川の流れをかえる工事
洪水でこわされた富川堰(せき)の復旧(ふっきゅう)工事
人々は,水害のない生活ができることを願いました。そして,そのために川の流れをかえて,洪水が起こりにくいようにする工事が行われました。これは,大正(たいしょう)・昭和(しょうわ)の時代であり,会津坂下町の人々が安心してくらせるようになったのは,ごくさいきんのことです。
この工事は,東北地方建設局(けんせつきょく)(今の国土交通省北陸地方(こくどこうつうしょうほくりくちほう)建設局阿賀川工事事務所)が中心となって進めました。会津坂下町の人々はこの仕事に参加(さんか)し,いっしょうけんめい働(はたらき)きました。
このころは,今のような機械(きかい)や道具がありませんでしたので,くわやつるはしで土をほり,ダイナマイトで岩をくだきました。掘(ほ)り出した土はもっこで運んだり,トロッコに積んで運んだりしました。
【泡の巻捷水路(あわのまきしょうすいろ)※】阿賀川は,川西の近くで喜多方地区の真木(まき)を囲むように曲がっており,ここから洪水が起こっていました。この袋のようなところを150m堀(ほ)りわって,川がまっすぐに流れるようにしました。
※捷水路:曲がった川を短く切リ開いた水路