小学校社会科学習資料 わたしたちのきょう土 会津坂下町 - 084/110page
この工事は,1921年(大正(たいしょう)10年)から始められ,1933年(昭和(しょうわ)8年)に完成(かんせい)しました。
【土掘(つちぼり)・袋原捷水路(ふくろはらしょうすいろ)】川西地区の土掘地内に,阿賀(あが)川の流れが袋のかたちになっているところがありました。また,袋原地区のまわりにも600mの袋の形の流れがありましたので,掘(ほ)りわって水の流れを整(ととの)え,川がはんらんしにくくしました。
土掘捷水路1923年(大正12年)〜1940年(昭和15年)完成
袋原捷水路1925年(大正14年)〜1938年(昭和13年)完成
【宮川(みやかわ)捷水路】1932年(昭和7年)に鶴沼(つるぬま)川の下流の地域の水害をふせぐために,若宮地区の上新田(かみしんでん)から宮古橋(みやこはし)の少し上流まで,直線におよそ3kmの川を開いて阿賀川に水をぬくことを計画(けいかく)し,次の年から工事が進められ,1955年(昭和30年)に完成しました。
むかしの工事のようす
会津坂下町を流れる川