わたしたちの郷土 会津本郷町 -103/127page

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くの阿賀川(大川)から水を引く事業を思いたち,自分のお金を出して仕事を始めました。藩(はん)に隠(かく)れて山をひらき,河原に石をつんで堀(ほり)をつくったり,ほらあなをほったりしての作業は非常に困難(こんなん)であったといわれてます。

 1626(寛永(かんえい)3)年,徳元は水路の長さ4キロあまり,28年間をかけて「 うつろぜき 」の大事業を完成(かんせい)させました。

うつろぜき水路
うつろぜき水路

村人たちはその労苦に感謝(かんしゃ)して柳西の山ぎわにお堂(どう)と墓碑(ぼひ)をたてました。また,1887(明治20)年には,うつろ坂に徳元の功績(こうせき)をたたえた碑がたてられました。

写真 うつろぜきの碑
うつろぜきの碑


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