会津本郷の野仏 -005/090page
ートル)の西面8合目付近の温泉流出(無限地獄)をご神体として拝する山岳宗教の霊場です。
江戸時代末期に“白湯山信仰”が盛んとなり、最盛期の安政三年(1856)旧4月8日には、白い行衣をまとった信者1008人が参詣したと伝えられています。
※この山岳信仰では、お金をまきながら沢のぼりをした「お沢がけ」の習俗が知られます。(尾島利雄氏よりの御教示)
関山集落口から南へ300メートルほど外れた山際に苔むした岩の背に乗る町で唯一の白湯山の碑が造立されています。地上高1.5メートル、天保二年(1831)今から百六十年前に“若者講”によって建立されたものです。
温泉を信仰する風習は、出羽の湯殿山と類似しています。茶臼岳(白湯山)・南月山・朝日岳を三山とする信仰には、出羽三山信仰が色濃く見え隠れします。豊作・家内和合・里の彌栄を祈願しました。
4 庚申(こうしん)供養塔その昔、年や日を表す方法として、十干と十二支(じゅっかんとじゅうにし)の組み合わせが使われていました。この十干の「庚(こう・かのえ)」と、十二支の「申(しん・さる)」の組み合わせの信仰行事を「庚申信仰」といいました。
庚申の年や庚申の日は60年に一度、60日に一度めぐってきます。庚申のあたり年や、日の行事を行った記念として建てた供養塔を「庚申塔」といいます。
正徳・享保・明和・天保にわたって八基の庚申塔が造立されています。江戸時代の中ごろから大川沿いの集落に信仰を集めたことを知ることができます。
中国の民間信仰である道教の説によると、人間の体内には「三戸(さんし)」という虫が住んでいて、人の行動や言動を観察し、庚申の日の夜、その人が眠ったあとで体内から抜け出し、天に昇って帝釈天に罪状を報告すると考えられていました。「三戸」の昇天を防ぎ延命長寿を得る信仰が生まれたのです。
5 馬頭観世音原名はハヤグリーバ。「馬の頭を持つ者」の意です。この馬頭は盆怒相(ふんぬそう)という怖(こわ)い顔をしています。やさしい顔では教化し難い衆生には怖い顔をして救わなければならない時もあります。
馬頭観音は、頭上の宝冠に馬の首をいただいています。これは転輪聖王の宝馬が、四方を駆けめぐり四魔を打ち破