会津本郷の野仏 -006/090page

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ったり、無明や煩悩を馬食の如く、喰いつくしてくれるということを表しています。

 明和九年(1772)田(つぶ)ら岡邑(むら)本田・上小松村山本文吉.栃沢村中の銘による1基・文化年間の2基・明治・大正・昭和の5基・年不詳3基と合わせて11基が造立されています。

 当初の3基には仏教的な作仏が見られますが、明治以後になると馬の供養塔としての墓碑的性格を持った馬頭観音になり、文字碑が多く造立されるようになってきました。


6 厩山(うまやさん)

 厩山は磐梯町にある標高1240メートルの山をいいます。「新編会津風土記」に“上に馬頭観音堂あり”と記されています。とりわけ馬の健康安全を願う信仰の盛んな山でありました。

 当町域に見られる厩山塔は、文化・天保・弘化・元治・慶応年間にそれぞれ1基ずつ、外に年不詳塔が4基造立されています。これらのことから、江戸時代の後期…60余年にわたって、厩山信仰が続いたようです。

 厩山は馬の安全守護と、馬の死後に供養として造立されたものと考えてよいでしょう。前者は講中で建て、年不詳 塔は馬と生活を一緒にした人達の建てたものと考えられます。

 馬は百姓(農家)にとって大切な労働力であるばかりではありません。馬小屋からは大量の肥料がとれ、仔馬は資金源ともなる家畜であったからこそ“信仰"が広まったのでしよう。


7 月待塔 (三日月・二十三夜.二十六夜)

 その夜の月の出を精進潔斎して待ち、ご本尊を礼拝、勤行(ごんぎょう)(お経をあげること)するのが本来の信仰といわれます。

 ほとんどが女人講で礼拝が済むと楽しい親睦会ということで娯楽の少ない労働のきつい女性には信仰という名のレクリエーションだったと思われます。

 主尊が如意輪観音である三日月供養塔が2基・勢至菩薩を主尊とする二十三夜塔が23基・愛染明王が本尊の二十六夜塔が1基造立されています。

 江戸時代後期前半(明治〜弘化)から、百年余にわたって二十三夜講を主とする信仰が続けられたことを知ることができます。

 月と女性の関連は生理的なもの、出産の際の潮の満ち引きなど、女性生理とは切り離せないものがあって、信仰も


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