会津本郷の野仏 -007/090page

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妊娠・出産・育児の祈願が中心になっていました。


8 金毘羅(こんぴら)(金刀比羅(ことひら))
9 象頭山(ぞうずざん)

 金毘羅は香川県(讃岐)象頭山の金刀比羅宮に祀られています。室町時代ごろから海上の安全を守る神として漁民に厚く信仰されてきました。

 「金比羅様の御山は象頭山と言って、象の頭の様なげにござりまする」と、古い本に記されています。

 金毘羅は文化十二年(1815)ごろから、堀滝・入宗・大石・福永・関山・馬越にそれぞれ一基ずつ造立されています。

 当時の大川や永玉川は水量が多く交通(舟渡し)の難所が多かったため、流域住民や旅人の安全を祈ってこのような碑が建てられたものと考えられます。

 大川や永玉川での豊漁祈願も見逃すことはできません。草がくれする“碑”に手を触れると先人のあたたかい思いやりが偲ばれてきます。


10 飯豊山( いいでさん)

  飯豊山地は新潟・山形・福島の県境にあって、主峰の飯豊山(2105メートル)は山形と新潟の両県と堺を成しています。

 江戸時代後期(二百年前)から、作神信仰を主として13・4歳から、20歳前の男達がこの山に登るようになりました。

 間もなく成人儀礼を果たす聖地ともなって、会津のどの村からも“飯豊詣り・が行われてきました。

 相川観音堂の裏山に、文政十三年(1830)造立の町では最も古い。“飯豊山塔・が見られます。外に慶応元年(1865)に根本山先達・鈴木文右衛門、馬越にも明治三年(1870)の塔と町内で3基を数えることができます。

 数の上からは比較的少なく近代になってからの“山岳信仰"と考えられます。


11 辮才天( べんざいてん)

 サウスヴァティーと呼ぶインドの河の神であるといわれます。もともとは“豊業神"でありました。

 日本では仏教にとり入れられて、音楽や知恵の神に転じました。江戸時代に入ってから福徳神の性格が強くなり、


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