会津本郷の野仏 -008/090page
七福神の一員に加えられました。財福の外、芸能神としての信仰が特に女性の間に広まりました。
石塔造立の目的は治水にあります。川・池・沼などの水辺に祈り、人間の生活に最(もっと)も関係の深い“水の神"としての信仰でした。川の氾濫・増水・あるいは早魅(かんばつ)といった深刻な問題に直面する農民のすがるべき仏だったのです。
堀滝に正徳三年(1713)・大門に享保三年(1718)・上荒井に天明三年(1783)にそれぞれ一基ずつ見られます。
河の神・水の神・作神として信仰されたと考えてよいでしよう。
12 巳待塔(みまちとう)巳待は巳の日に仲間・講中の者が宿に集まり、精進料理で一晩を過ごすという“日待"の一種と考えられます。
巳=蛇は水の使者、水神のシンボルといわれ主尊は、河の神・水の神・農業の神といわれる辮才天であります。
己巳(つちのとみ)の日の巳の刻(午前十時ころ)に行う、辮才天の祭りに祈願すると、辮才天の姿が現れ、それを拝んだ者は幸運に恵まれるといわれました。
宗頤に延享二年(1802)・大八郷に享和二年(1802)・福光に文政五年(1822)およそ百年の間に、 三基の巳待塔が建立されています。
水の神である辮才天の使者として、種々の厄を払い、作神として豊饒と財福を地域の人々にもたらし、巳待講のひとときがくったくのない夕べとなったことでしょう。
13 名号塔(みょうごうとう)(念仏供養塔)名号とは、通常「南無阿弥陀仏」の文字名号を指します。名号塔は、阿弥陀如来への絶対帰意を表すこの六字名号を塔に刻んだものです。
浄土宗では「南無阿弥陀仏」と唱える者は必ず極楽浄土に往生できると説きました。これが大衆に受けて、念仏は極めて隆盛を見ました。
関山の日当山日輪寺、十一面観世音入口に町では最大最古の“名号塔板碑”があります。ここには文化六年(1809)一基、年不詳二基と造立されていて“名号塔。の数では町一番です。
八重松館山に、享保十九年(1734)・宗願に文政八年(1825)建立の“名号塔。が二基見られます。
ただ念仏を唱えるだけの「易行(いぎょう)」でよいとされましたから、どこの村にも善男善女の念仏講がつくられて広まったのでしよう。