会津本郷の野仏 -011/090page

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代を集金して次の代参人に渡すという方法をとってきました。現在の代参は観光会社の募集で行われる団体参拝が普通となってきました。


19 山の神

 山の神は狩猟や、山仕事の安全を守ってくれるだけでなく、豊作や安産をも祈願する神でもありました。

 享保十六年(1731)およそ三百年前ごろから、天保四年(1833)にわたって十六基の石祠が造立されています。

 他に明治三十一年(1898)・大正七年(1918)に一基ずつ、山の神の板碑が建てられています。“石祠。は集落から少し離れた小高い山の頂か、中腹の平場に見られます。

 栃沢・関山・福永・入宗・柳窪(大久保山)・本郷・螺良岡の石祠には、護符か、注連(しめ)飾り・藁で注連(しめ)を作り、餅や炭、麻などを入れて山中の木の枝に掛ける“春山伐り”も、山の神を祭る習慣として現在にほそぼそと残っています。

(螺良岡・本田東男氏の談)


20 水神

 「川には水神、谷には木霊(こだま)」と歌謡に記されているように、水を つかさどる 神様です。

  像容は一面二腎の天女形(象岡女(みづばめ))で、頭に天冠、身体には天衣をつけ、両手に宝珠を持つといわれています。天冠には何匹かの蛇が巻きつく形がとられ、水神として蛇がからむ姿が特徴となっています。

 上小松(関山)に創建の詳(つまび)らかでないりっぱな水神社が祀られ、境内裏山に明和五年(1768)に造立された石祠水神が見られます。

 外には宗頤町に明治十八年(1885)・福光に同二十七年(1904)・福永と大八郷のほぼ中間点の氷玉川土手に年不詳・関山にも年不詳の石祠水神がそれぞれ一基ずつ造立されています。

 水神は“水天”ともいわれ、十二天の一つで佛教にとり入れられてから水を支配する“天”となりました。


21 道祖神(どうそじん)

 “道祖神。と書いて(ドーソジン)と読んでいますが、(ドーロクジン)という所も多く、(サエノカミ)と言って


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