会津本郷の野仏 -012/090page
いる所もあります。
町内には古来から正月十五日の夜、門松や古い神棚、御幣などを一緒に燃やし悪魔、疫病の入ることを禁じた火祭りがありました。
“どんど焼き・歳の神・さぎっちょ"などといわれましたが、もともとは“道祖神祭り”なのです。この風習は、商工会青年部が音頭をとって毎年継続されています。
螺艮岡には明治の世まで、太い漆(うるし)の木の枝にお椀(わん)のふたを糸で下げた「つんぼ様」と呼ばれる道祖神が祀られていました。
関山(上小松)の水神宮境内と、入宗口に“丸石道祖神 ”いしほこらを祀った石祠がそのかみの面影を現在に残しています。
石や巨木に神秘的な力を感じ、その力が耳だれや、病気を治してくれると信じられてきたのです。
22 泡瘡神(ほうそうがみ)泡瘡は天然痘(てんねんとう)・痘瘡(とうそう)と同じです。ビールスによって伝染し、この病気特有の小さな吹き出ものが皮膚(ひふ)や粘膜に出ます。運よく病気が治っても、顔や全身には、あばたが生涯残ってしまうという死亡率の高い、大変恐ろしい病気です。
栃沢の南へ外れた山際に明和八年(1771)・八重松の白山神社境内に、現在も新年には注連縄(しめなわ)で飾られる“石祠泡瘡神。が造立されています。
しめなわ「日本石仏事典」に、泡瘡神は、青ざめて痩せた自髪の老人。奇怪な姿をした老婆。幣束を手にして、波間にただよう円座に座ったみすぼらしい老人…などと記されています。 しめなわ当時の人達は、恐ろしい泡瘡などの疫病(えきびょう)は“神。によって持ち込まれ、拡まるものと信じて、疫病神(泡瘡神)をかから 祀って、泡瘡に罹らないように祈ったのでしょう。
23 観世音観音のいらかみやりつ花の雲 芭蕉
満開の桜のなかに、観音堂の屋根瓦の見える風景です。春風騎蕩(しゅんぷうたいとう)とした、春の景色の長閑(のどか)さがよく表れています。
庶民の願望は多種多様ですから、一切の人々をよく観察するために、三十三様に姿を変化し現すと「観音経」にいわれています。観音の「三十三応現身」(変化身)と呼び、仏教では、三の数を重視することから、三十三力所となったわけです。
大門に大悲観世音・嘉永三年(1850)・横川山に横