時空抒情 新鶴村村制施行100周年記念誌 -036/057page
業の近代化、畜産の振興に努めた」(三七年)、 「めまぐるしい農政の変化の中で、農家の立場 はますます悪状況の様子を呈し、まさに戦後 最大の変革期に突入」(四四年)、「米は生産調 整により平年を一万俵下回る七万五〇〇〇俵 の出荷にとどまった」(四五年)、「長期にわた る不況と円高、さらには第二次減反政策の発 表など非常に厳しい年」(五二年)、「地域農業 計画の樹立と合わせ複合経営による営農類型 の確立に努めた」(五三年)、「自主流通米の入 札制度がスタートし、米の生産、流通両面に わたり新たな対応が迫られた」(平成二年)、「新 たに食糧法が施行され、米は政府による全量 管理から民間主体の生産、流通へと大きく変 わり、需給実勢を反映した価格形成となった」 (七年)などがある。
農業三世代・新国家の場合
桧ノ目に三世代にわたって農業を営む新国(にっくに) 家があるが、その歴史を伺うと、これまで述 べてきた新鶴農業の変遷そのものであったこ とが分かる。
ご当主の武彦氏と妻のヒロコさんが昭和一 四年生まれで、ご尊父の寅彦氏が大正四年、 ご母堂のマスエさんが大正六年生まれ、そし てご子息の和彦氏と妻の智子さんが昭和三六 年生まれ、さらにお孫さんは中学校一年生の 彰彦さんに、小学校三年の直子さんと、総勢 八人の家族構成になっている。
寅彦氏の時代に約九町あった田畑は、戦後 の農地解放によって四町に減り、現在は四町 四反歩の水田と五反弱の畑を有する専業農家
薬用人参畑。長尾原から佐賀瀬川、米沢にかける洪積世のシラス層は酸性度が強く、薬用人参栽培の最適地になっている
ブドウ畑。連作できない薬用人参畑の後作物として近年、生産が本格化してきている。ブドウは生食ブドウ、ワイン加工用ブドウとも評判が高い