時空抒情 新鶴村村制施行100周年記念誌 -035/057page

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と、農本思想といい、瑞穂の国といい、その 実態は明治維新の重工業偏重の近代化政策以 降、静かながら確実に崩壊の道筋をたどって いた。
 それが顕在化したのは、昭和三五年(一九六 〇)に発足した池田内閣による国民所得倍増 計画あたりからで、日本は高度成長期に入り、 三九年の東京オリンピックを契機に高速交通 時代の幕が開けた。農村から青壮年男子の労 働力が太平洋ベルト地帯へと流出し、三ち ゃん農業″が定着したのもこのあたりからで あった。
 高度経済成長政策の農業版としてもうか る農業″をめざす「農業基本法」が制定された のが三六年。それ以降、日本の農政は選択的 拡大を推し進め、プラスアルファ型という複 合経営が奨励されるようになる。農家はこぞ って機械化を図り、有機肥料の代わりに化学 肥料と農薬に依存するようになる。
 効率性を第一義の価値観として走り出した 流れは止めようもなかった。四五年に突如打 ち出された減反政策によって、休耕田が広が るようになると、高収益をもたらす品種改良 が重ねられ、主食のコメは食糧としてよりも 嗜好品のように味を競うようになった。それ は、中山間地域問題、過疎化、自由化への対 応を迫られつつ、平成七年に「主要食糧需給 価格安定法」(新食糧法)が定められて揺れ動 く現在に至るまで変わりない。
 その辺の事情を「農協略年表」に見ると、「所 得倍増計画は悪結果を招き、消費者物価倍増 となり農家の経済を圧迫」(三六年)、「農業も 生産及び価格とも比較的安定して推移したと はいえ、他産業従事者との所得格差は開き、 これが対策として所得の増大を期すため、農

農作業を終えて家路につく・仏沢地区
農作業を終えて家路につく・仏沢地区(昭和32年頃/風間定雄氏提供)

機械化が進み、耕うん機を運転する農婦
機械化が進み、耕うん機を運転する農婦(昭和30年代後半/鈴木貞子氏提供)


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