時空抒情 新鶴村村制施行100周年記念誌 -050/057page

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 再び市野へ向けて下山していくと、山道に はヤマツツジやタニウツギ、ホオノキなど樹 の花が盛りだった。下を見ればシャガやカキ ドオシなど野の花に混じり、園芸植物のカザ グルマが咲いていたりして、ここが人里だっ た時代が偲(しの)ばれるのだった。

名瀑の不動滝

 市野には最多一二戸が住み、すぐ傍らにあ る鹿島神社の南沢辺には大谷地方面から引い た堰堀があって、その跡も田形も見えたと『村 誌』にはあるが、今現在、住するのは一戸のみ という。神社へ至る道筋には草々が繁茂し、 無人の家屋の窓にはトタンが打ちつけてあっ て、廃屋の朽ちるがままになるのであろうが、 唐澤さんのもらした「淋しいことです」という 言葉を、どのように解釈したものだろう。今 はまだ、とても清潔な集落の佇いである。
 この市野には、前述もしたが柳津町軽井沢 に抜ける道が通っている。かつては大谷地か ら山越えのルートだったのかもしれないが、 いずれ元和元年(一六一五)に開発された軽井 沢銀山に至る道で、『新編会津風土記』には「昔 繁栄の時は、本地および逆瀬川等の駅所にて 往来も多かりし」とある。この道はそのまま 下流に伸びて佐賀瀬川−根岸−下荒井−蟹川 −会津若松城下へと至る。俗に銀山街道と呼 ばれる道である。
 ここに延享三年(一七四六)創始の、軍神を 祀る鹿島神社があるのは、『村誌』の大谷地の 記述と同じく、「銀山開発のため入りこんだ落 武者などの谷地開墾による定住部落ではない かという推測」ができよう。
 私たちはここで、上平へと下る前に、名瀑 といわれる不動滝へ寄り通することにした。 クマの出没を注意され、やたら手を叩きつつ 沢を遡行すること約一〇分、大台地渓谷最大

不動滝下流で出会った釣り人
不動滝下流で出会った釣り人

タニウツギ
タニウツギ

ホオノキ
ホオノキ

シャガ
シャガ

カキドオシ
カキドオシ

キンポウゲ
キンポウゲ

カザグルマ
カザグルマ

踏み跡も消えつつある鹿島神社
踏み跡も消えつつある鹿島神社

市野の無人の家屋
市野の無人の家屋


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