時空抒情 新鶴村村制施行100周年記念誌 -051/057page

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不動滝
屏風岩
二岐ダム

ヤマフジ
二岐手前の谷にも水田が開け、 見事なヤマフジがあった

の滝は思いの外あっけなく眼前にあった。県道 からおよそ六〇〇メートルほどの距離である。
 高さ約一五メートルのこの滝を境に市野と 上平が分かれる。滝の左側崖の中央よりやや 高い窪みの所に不動明王が祀られているとい われたが、昼なお暗い渓谷に視認することは できなかった。出会ったのは音もなく竿を出 す若い釣り人だった。聞くと、細い流れなが らイワナやヤマメが混棲しているのだという。
 上平から二岐へ向かうと四〇〇メートルほ どの台地が出てくる。洪積世末期の河岸段丘 で、旧道脇には貝の化石も出土する名勝屏風 岩があった。谷奥はかなりの程度に水田が開 かれている。二岐の地名は明神ケ岳北麓を源 流とする支流がここで合流するからか、川の 名も二岐川という。唐澤さんによれば、かな り上流まで遡行すればブナの樹林もあるとの ことだったが、「この暑さでは長物出るな」の 話に即、断念した。長物とはどうやらマムシ をさしてのことらしい。

古代の息吹

 仏沢を通り二岐ダムを過ぎて松坂に至ると、 それまでのV字形の深い浸食地形と違って、 ようやく谷底が広くなる。ここから佐賀瀬川 までは、一度堆積された谷底が再び浸食され 始めた地形で、階段状に水田が開拓されてい る。縄文式土器や石器が出土し、仏教文化導 入時期を知らせる古刹(こさつ)があり、中世の山城も あるという複合遺跡の集積地で、新鶴村の古 代の息吹はここから始まる。
 上から辿っていくとまずは西麓の河谷壁に 沿って、まるで区画整理をしたかのような正 方形の敷地が水田に張り出しているのが見え る。草むしているので判然としないが、唐澤 さんによれば大日山一二坊の寺家跡という。 その背後には山麓にかけて天文三年(一五三四) 大日如来が遷座(せんざ)した大日山、坊数一二宇の寺 山、坊舎跡、そして医王山常福院がある(現在 は新屋敷)という一大聖域でもあった。
 そして佐賀瀬川をはさんで対岸の館が沢に は二六基もの竪穴住居跡がある。『広報にいつ る』に連載されている「新鶴村の隠れた文化財」 に、唐澤さんの文で紹介されているので、そ れを抜粋してみよう。
 「一説には原始時代日本海方面の民族が盛ん に新天地を求めて移住し、会津へは阿賀川を 遡上して支流の宮川(鶴沼川)へ入り、更に支 流の逆瀬川中流の丘陵地(佐賀瀬川部落の西 約一K)館が沢に竪穴住居の村落を形成した。 当時稲作の知らぬ祖先族は身に獣皮をまとい 山野に鳥獣を追い、木の実や球根を採掘し河


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