会津盆地西部地区の農業 - 069/100page

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(2)それぞれの町や村の堰

1富川堰(とみかわぜき)(会津坂下町)

 昔,金上(かながみ)地区の東側や広瀬(ひろせ)地区の東側は旧宮川(鶴沼川)よりも高台(たかだい)になっているため,いつも水不足になやんでいました。そこで,天文5年(1536年)に東川原の赤井六郎左衛門(ろくろうざえもん)が中心となり,阿賀川の水を北会津村の真渡(まわた)から引き入れ,御池(おいけ),青津(あおつ)までの水路を造る工事を始めました。堰が完成すると,この地方がいつまでも豊かに栄えることを願って「富川堰」と名づけました。
 現在では,大規模(だいきぼ)に改修され,「富川頭首工」と名前を変えましたが,会津坂下町の人々にとって大切な堰として使われています。

富川頭首工
▲富川頭首工(北会津村真渡)

富川頭首工を管理する人富川頭首工を管理(かんり)する人の話

 昔は小さな堰でしたので,用水を使っている人たちが水利組合をつくり,堰にたまったごみを取りのぞいたり,水量を調節したりする仕事をしていました。頭首工になった現在では,土地改良区が維持管理をしています。職員が月に一度,ひび割れがないか調べたり,水の流れやモーターに異常(いじよう)がないか点検(てんけん)したりします。土地改良事業にかかるお金を農家の人から集金したりする仕事もしています。


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