新鶴村 地名の由来 -004/079page
角 田
三百苅(さんぴゃくがり)
家ノ前(いえのまえ)
台川原(だいかわら)
村 中(むらなか)
1028〜1143番地まで,村の中ほど常福院を中心にその周囲の地。大久根(おおくね)
1144〜1283番地まで,長峯利夫氏裏の辺。油 田(あぷらた) (現 油田)
昔鷺林集落の人達2・3名の人が住んで居た土地を油田と名付けて以来現在まで続く。向油田(むかいあぷらた) (現 油田)
赤沢川に堰を作るためにその付近一帯を油田として,現在も名が残されている。樋 崎(といざき) (現 油田)
油田地区に堰を造り,佐賀瀬川・赤沢川・鶴沼川の合流地点の手前堀より「地極(じごく)樋」を造って水を流す辺りの地名。
○油田(あぶらだ)
昔は「あぱら」までぬかる田であったので「あぱら田」と呼ぱれていたのが鈍って,何時からか「あぶらた」(油田)と呼ぱれるようになり,地名となった。村 西(むらにし)
江戸時代初期北向の西方,新屋敷の東方にあたる。明治・大正8年耕地整理後現在に至る。宮 前(みやまえ)
油田堰より流れる水を樋崎を通り,神社の南鶴沼川堤防迄の