新鶴村 地名の由来 -010/079page
堰 前(せきまえ)
集落前方「三五田堰」の近くで,集落から離れていて和泉・出尻から鶴沼川を越えて入り作していた。西 田(にしだ)
集落の西で「遠西集落」との間にあってその名が付けられたのか。耕地番号も西田1番から始まっている。天 神(てんじん)
集落から三五田堰水路北川迄の新田街道両側で,宮ノ前地区と接しているが,天神と名付けられた由来は不明。大 坪(おおつぽ)
集落一番の良田で,平坦地で耕土が深く良い田だったらしいが,地名との関係は不明。遠 西(とおにし)
遠西集落の周囲で,畑地が多く遠西と名付けられたと云われる。石 田(いしだ)
集落北東の地で,砂利田が多く土地交換等には敬遠されていた。
土壌にちなんで名付けられたと云われている。
● 大東・下川原・沢田川原逆上・七百川原の四地名は,新鶴村役場保管の土地台帳には記載されているが地名の由来その他不明。
澤 田(さわだ) (和田目乙)
佐賀瀬川扇状地の旧河道の落口の沢を開墾し集落が結集したと考えられる。
大字和田目字杉免(澤田)の稲荷神社は「澤田兵庫」の屋敷跡と云い伝えられている。この屋敷跡と云われている神社の境内は古い豪族の古墳で「澤田兵庫」が上部を整地し屋敷を造ったので「澤田」の苗字をとり「澤田」と名付けられたとの伝承がある。「澤田」の名の由来不明。
田中前(たなかまえ)
会津坂下町田中金沢集落前の地区を「田中前」と名付けられた。沖 田(おきた)
田中金沢集落と「沢田」の境界近辺の一段と低い地帯で,雨が降れば湖の状態になったので「沖田」と呼ばれていた。前川原(まえかわはら)
昔は川原地帯で,集落の前方東側の地区。八合田(はちごうだ)
集落の真東の地区で新鶴村指定文化財宝篋印塔出土地区。名の由来不明。