新鶴村 地名の由来 -017/079page
石 田(いしだ) (現 立行事722〜724,772〜775)
上石田(現立行事722〜724)下石田(立行事772〜775)に分かれている。度々の佐賀瀬川の氾濫,ことに天文5年の「白髭の水」と云われた大洪水で,村の耕地は石河原となり開拓のやり直しをした。その際この地は石が物凄く開拓に困難を極めたので「石田」と名付けられたと云う。蟹 田(かにた) (現 立行事818〜824)
上カニ田・下カニ田に分かれている。
この耕地の殆どが砂地であったため,水路等は石と砂で造られた。そのため石の間は蟹の文化住宅となり沢蟹の繁殖が著しく,畦が崩される等蟹による被害に農民は泣かされていたところから「カニ田」と名付けられた。稲荷下(いなりした) (現 立行事777〜785)
立行事稲荷神社の前で,村の西南に拡がる土地で稲荷下と名付けられた。砂 山(すなやま) (現 立行事786〜788)
開拓のときこの付近は砂利や砂ばかりで土が少なく,砂利・砂を採集して一ケ所に山のように積んで置いた。この付近を砂山と呼んでいた。澤(さわ) (現 立行事1259〜1266)
上澤・下澤に分かれている。
佐賀瀬川が立行事の村中を西から東に流れた旧川筋で,天文5年の「白髭の水」と名付けられた大洪水が,村中を西から東に流れ澤となった河原地を開拓し上澤・下澤と呼んだ。昭和31年7月の大洪水も「白髭の水」と同じ旧川筋を流れ村を二分した。
現在は圃場整備により整地され良い田んぼとなっている。古宮前(ふるみやまえ) (現 古宮前330〜343)
昔,稲荷神社が集落下の磐梯の角(現新鶴駅前付近)に祀られてあったが,「白髭の水」等度々の洪水に社地が危険にさらされ現在の地に遷宮された。その神社跡地付近を古宮前と名付けられた。