新鶴村 地名の由来 -042/079page
三五郎田(さごろうた)
1番〜24番まで,宅地・畑、住所名。太 田(おおた)
1番〜40番まで,田千 苅(せんがり)
1番〜37番まで,田大 坪(おおつぼ)
1番〜41番まで,田・畑権現堂(こんげんどう)
1番〜42番まで,田・畑
田沢川の川沿え畑地内に,お堂の礎石が見える。昔お堂のあったところから名付けられた。寺 田(てらだ)
1番〜37番まで,田・畑赤 田(あかだ)
1番〜61番まで,宅地・田・畑沖 田(おきだ)
1番〜61番まで。上 野(うわの) (現・前林1番〜3番まで)
1番〜85番まで。畑・草地・林・畑地造成にて変更となる。
昔上野原と云われ,石器・土器類が多く出土した。
● 遺跡 上野遺跡 縄文・奈良・平安時代,塚4基を含む。薬師壇(やくしだん) (現 前林18番〜25番まで)
1番〜89番まで。畑・山林・草地・薮地畑地造成にて変更となる。
昔この地に薬師堂が建てられていた処からこの名が付けられたと言い伝えられている。前 林(まえぱやし) (現 前林39番・42番・43番・46番)
1番〜42番まで,山林・草地。
上野・薬師壇・前林と続いていて,この地名昔の村の様子が考えられる所がある。
● 遺跡 前林遺跡 縄文・奈良・平安時代西大窪(にしおおくぼ) (現 前林35番〜38番)
1番〜59番まで,畑・荒地・畑造成にて変更となる。下大窪(しもおおくぽ)
1番〜78番,畑・草山
● 遺跡 下大窪遺跡 縄文・奈良・平安時代上大窪(かみおおくぽ)