新鶴村 地名の由来 -045/079page

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どかくしたと云われている。
 負傷者が逃げ切れずこの沢で亡くなった人の無縁佛の石碑がある。
 またこの場所は,昔贋金造りをしていた場所であったため「贋澤」と名付けられたとの伝承がある。
 

  沼 山(ぬまやま) (沼田 丙)
 田沢川渓谷の奥に発達した集落で,谷の出口にある出戸田沢との関係が深く,山の奥から下って来たのではなく,山麓から谷奥の開発へ向かった。佐賀瀬川奥の開発とは逆のような関係がみられる。
 出戸田沢と沼山の関係は明確にはわからないが,古い記録にも,皆,沼山を出戸田沢の端村として取りあつかっている。沼山は全戸佐藤で,如何にも同族集落のような観を与える。  (奥州会津新鶴村誌)
 「沼山」の地名の由来不明
 沼山集落も,入田沢集落同様,地名改称はみられない。
  ○現在地名次のとおり。
 ・下峠(しもとうげ)・中ノ峠(なかのとうげ)・上峠(かみとうげ)・西澤(にしざわ)・菖蒲沢・上沢田・大明神(だいみょうじん)・漆原(うるしわら)・曹根(そね)・屋敷(やしき)・眞名板倉(まないたくら)・上居當(かみいあたり)・下居當(しもいあたり)・上臺(うわだい)・下臺(しもだい)・森ノ下(もりのした)・上漆原(かみうるしはら)・中漆原(なかうるしはら)・下漆原(しもうるしはら)・窪畑(くぼはたけ)・上小舘(かみこだて)・中小舘(なかこだて)・下小舘(しもこだて)・沼ノ坂・上太田入(かみおおたいり)・上坂ノ下(かみさかのした)・中坂ノ下(なかさかのした)・下坂ノ下(しもさかのした)・前澤口(まえざわぐち)・瀧ノ澤(たきのさわ)・下太田入(しもおおたいり)・大田(おおだ)・上里道(かみさとみち)
 


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