新鶴村 地名の由来 -046/079page

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大字 佐賀瀬川(さかせがわ)

 古くは「逆瀬川」と書かれていたが,今の漠字に改められた。

 この集落の歴史は古く弥生式土器時代から,古墳時代を経て,仏教文化をとりいれるまで,盛衰はあっても,引き続く居住地であったとみて,新鶴村としては,石器時代の文化だけでなく,古い集落の一つといってよい。(奥州会津新鶴村誌)
 

 佛 沢(ほとけざわ)

 佛沢集落は,佐賀瀬川の端上字名・家ノ下にあったと云われている。天文5年(1536)白髭の水害により危険となり,上平街道と集落の中間字名・中屋敷に移ったが,用水が飲用に適さず,再度現在地に移転した。地名は西佛沢道より東が「東佛沢」に移転したと伝えられる。

 現在集落では,各所に清水が湧出て,集落には昔から井戸の無い集落である。

佛沢清水
佛沢清水
 

 古老の伝承によると,昔弘法大師が会津の高野山に適した山や谷を調べこの地が適していると来てみた処,地名に左沢(アテラザワ)と云う場所があり断念したと伝えられている。

 地名に,「和泉屋敷」と云う所がある。この地は梁田村の千代和泉守の前知行地と伝えられる。

 平内原・大久保・左沢・細入・坂東川原等の地名がある。

 この集落には市野・上平・二岐・佛沢・守ノ山(現会津高田町)等の小学6年生までの分校があったが昭和62年に廃校となった。

佛沢分校跡
佛沢分校跡

 水田は,4ヘクタール程であったが,昭和44年「二岐ダム」着工により埋没して半滅した。
 

 松 坂(まつざか)

 松坂集落は伝承によると,昔雀林村より分村したと伝えられ村松・佐々木等の姓がある。

 佐賀瀬川の北に集落があり,南北は高い山並である。是がため昭和38年集落西500米の地に二岐ダムの建設に着工昭和44年工事の完成を見,新鶴村北部及び会津坂下町の一部水田に利用されている。

 山は官林が多く,現在集落の鎮守様も官林に祀られている。村南の杉尺沢には松坂集落と佐賀瀬川集落の共有林がある。他に山は,小森山・宮田山・常福山が佐賀瀬川集落の境である。

 山間地のため佐賀瀬川に合流する谷・沢が多い。平沢・桧葉ッ子沢・朴(ホオ)沢・熊沢・アラカマ沢・ホヤ沢で佛沢との境となる。この集落で水田の多い所は宮田と呼んでいる大貝沢(佐賀瀬川分)である。

 昔軽井沢銀山繁盛の時は,新鶴村及び北会津村の物資を集落南端の鎮守様より銀山街道の箒松を通り座頭(コロガシ)へ出


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