新鶴村 地名の由来 -049/079page
宮 前(みやまえ) (現 佐賀瀬川・1〜41・1940〜2068)
一部旧地名残る。
● 遺跡 宮前遺跡 古墳〜平安時代 昭和57年試掘竹ノ内(たけのうち) (現 甲860〜甲893)
塲 岐(かぶき) (現 甲585〜甲595)
衣 崎(ころもざき) (現 甲508〜甲532)
山(やま)の下(した) (現 甲1010〜甲1022・乙850〜乙855)
押 張(おしはり) (現 甲800〜甲859)
下谷地(しもやち) (現 甲790〜甲799)
中谷地(なかやち) (現 甲711〜甲738)
堂 出(どうで) (現 甲698〜甲710)
深 田(ふかだ) (現 甲596〜甲609)
塚 田(つかだ) (現 甲536〜甲584)
小豆田(あづきだ) (現 甲655)
◎ 堰
名 称 所 在 地 記 事 五百苅堰 字五百苅 舘山堰 字上寺家 旧称ぬけ山堰 堂山堰 字下寺家 大谷地堤決壊による水害のため,昭和31年廃止。 舘下堰 字下寺家 岩間を堀り樋にて通水する通称村堰。
寛文6年(1666)構築神明堰 字舘ケ沢口 堰口の外現存,緊急時のみ使用。 湯沢堰 字湯沢口 大正14年廃止 台堰 字西屋敷 旧称家ノ下堰
昭和31年水害により上流から現在地に移築別当堰 字東屋敷 堰跡認められず