新鶴村 地名の由来 -065/079page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

  

大字 鶴野辺(つるのべ)

 大字鶴野辺は,鶴野辺甲(檜ノ目)(檜ノ目新田)鶴野辺乙(沖中田)鶴野辺丙(阿久津)鶴野辺丁(長尾)の4集落をもって鶴野辺という。
 

  檜ノ目(ひのめ) (鶴野辺甲)

 村東塚越地内に桧の大木があって,遠方から集落の目標になったので,桧が見えると云う意昧で「檜ノ目」と名付けられたと伝えられている。
 

  押 切(おしきり) (甲一・甲三) (現 桧ノ目 22・55〜65)
 檜ノ目村の西には,米沢村・雀林村があり,両村の西は山林のために東の方赤沢川の近くまで開拓された。雀林村の人々が開いたのは雀林分,米沢村の人々が開いた分は米沢分とされた。
 檜ノ目村の人々が,両村から押されて残った土地を開いたので「押切」と云う名称が生まれた。宅地・神社・寺の敷地が主である。
 水田・4反7畝12歩,畑・4反9畝23歩,原野・1反7畝14歩(主として神社の敷地),山林・10歩
 宅地・2,518坪6合6勺
 平成5年県営圃場整備事業が完成換地の結果,押切地内の鉄道線路西側の水田は米沢分となり,その代地は鉄道線路東側に檜ノ目分として換地となった。

  観音免(かんのんめん) (現 檜ノ目 23〜25・40〜47)
 檜ノ目集落に,千手観世音菩薩が祀られている。観音堂の北側にあり,寺領のため年貢免除地であったので観音免と名付けられたと伝えられる。
 甲38番地から甲129番地まで
 水田・3町5反15歩,畑・3畝7歩,墓地・2坪5合(観音寺)

  中 坪(なかつぽ) (現 桧ノ目 34〜39)
 耕地の中央にあり肥沃にて一等地
 甲130番地から甲164番地まで。
 水田・1町9反6畝19歩,畑・8畝
 墓地・5畝20歩(集落)

  谷 地(やち) (現 桧ノ目・17・18・26〜29)
 湿田にて馬が入れないので,人の手で耕起したので「谷地」の名称が生まれた。大正時代の耕地整理によって乾田となった。
 水田・甲165番地から甲185番地まで。
 水田合計 1町9反1畝25歩

  塚 越(つかごし) (現 檜ノ目・10〜13・30・31)
 近くに古墳あり「塚越」の名称が生まれた。甲186番地から甲203番地まで
 水田合計 1町6反2畝8歩


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は新鶴村教育委員会に帰属します。
新鶴村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。