新鶴村 地名の由来 -073/079page
家ノ東(いえのひがし) (現 家ノ東)
集落の中央を南北に流れる牛川堀を境に東側住宅地帯。家ノ西(いえのにし) (現 家ノ西)
上江の西側住居地帯。川 北(かわきた) (現 家ノ東・家ノ西)
佐賀瀬川北家ノ東と西の両側にあったが,大正初期に夫々合併された。川 南(かわみなみ) (現 阿久津南)
平成初期の圃場整備で改称されたが佐賀瀬川添えの原野はそのまま残っている。八 幡(はちまん) (現 阿久津)
平成初期に改称,住居周辺に一部残る。家ノ東の東側地区で沖中田集落八幡様の下方に当りこの名が付けられた。舘 野(たての) (現 阿久津)
集落東水田地帯の中心部で,南に神社名の八幡,寺名の法師坊,西に商町の町田があり,北に役所跡と云われる検断がある。法師坊(ほうしぽう) (現 阿久津)
八幡・舘野の東側で新屋敷油田・三百苅乙に接する。南町田(みなみまちだ)・町田(まちだ) (現 阿久津)
集落北会津高田・会津坂下線の西側一帯,北は新屋敷坂ノ下に接する。南町田は,牛川新堀土手添え原野に一部残る。
阿久津集落は,町田付近に古い村があり,後に現在の地に移ったという伝承がある。山ノ神(やまのかみ) (現 阿久津西)
阿弥陀寺西方,大正初期に宮ノ前に合併現在は阿弥陀寺にのみこの字名が残っている。旧地最西端に山ノ神様が祀られている。宮ノ前(みやのまえ) (現 阿久津西)
稲荷神社前西方現公用地の一部。廣 町(ひろまち) (現 広町)
集落西耕地の中心部。宮ノ前の北側,牛川新堀の西方。台畑・北三百苅(きたさんぴゃくがり) (現 北三百苅)
広町の北牛川堀の西方台畑地,大正初期に北三百苅となる。佐賀瀬川用水の末端で水不足の常習地帯。
● 古墳 阿久津権現堂古墳(現 鶴野辺字三百苅)古墳時代。
新鶴中学校東方にあり,円筒埴輪と云われる古墳時代の土器