新鶴村の文化財 -006/027page

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常福院薬師堂(田子薬師堂)
常福院薬師堂(田子薬師堂)

常福院薬師堂(田子薬師堂)

明治37年2月 国重要文化財指定
所在地 新鶴村大字新屋敷宇山王塚甲99
管理者 新屋敷部落(常福院)

この薬師堂は、建久8(1197)年、田子十兵衛道宥法印の開山と伝えられ、医王山薬師寺と称した。風土記には「モトハ此所ヨリ五町余り東北ニアリ」と見え、中島村(新屋敷の旧地)であったと思われる。

修復の際に宝形造りとなったものと思われ、資料には「皆宝形造り」と記されている。

鎌倉時代の建造で唐様式、作は飛騨の内匠との伝承がある。もとは低湿地の中島村にあったと言うが、建久の頃、水害のない扇状地周縁の丘地に移ったようである。

大和国城上郡長谷村長谷寺の末寺である。

現在の堂は、昭和29年8月より文部省直轄工事として解体修理され、同31年3月に落成した。解体の時破風が発見され、古くは入母屋造りであったことが確認されたので、屋根の宝形造りを改めて入母屋造りに復し、外部の内法長押は撤去、側廻り柱間装置を整え、屋根先は1メートル出して飛担軒を復旧、軒好り支柱を撤去して廻緑を整え四方開きとし、屋根は銅板葺(柿葺型)とした。何れもよく唐様建築の特色を現わしている。特に垂木の要は楔一本で止めてある珍しい建造物である。


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