新鶴村の文化財 -013/027page

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大壇の石廊
大壇の石廊

佐賀瀬川横穴古墳群

昭和53年2月 村重要文化財(史跡)指定
所在地 新鶴村大字佐賀瀬川字向山4219
所有者 村松繁モク、渡部富雄氏

佐賀瀬川部落の北、標高300メートルの向山中腹に九基の横穴古墳群がある。この古墳群は七世紀末頃の古墳時代末から奈良時代にかけてのもので、環頭の直刀一振と鉄斧一個が出土している。また人骨が一基から四〜五体分位出土しており、古墳が単に首長だけではなく、家族等が追葬されたことがうかがわれる。

この古墳群は、昭和31年の水害に見舞われた際、山崩れで表土が崩れ落ちたことにより発見された。このために、横穴古墳特有の墓前域、羨道部、玄関部等が失われている。

奥行き1.55メートル〜1.95、幅1.7メートル

高さ1.5メートル前後、奥壁に高さ8センチ、幅66センチの凹みを設けてある。

石棺埋蔵地

昭和53年2月 村重要文化財(史跡)指定
所在地 新鶴村大字立石田字北長尾乙4
管理者 唐澤正義氏

長尾原にも古墳時代後期(六〜七世紀頃)の円墳があったが、今では畑地造成でほとんどが失われてしまった。

昭和26年、長尾原北東端にあった「大壇」と呼ばれる径10メートル、高さ2メートル程の円墳を整地した際、地下30センチ程の探さより石廓が発見された。

この石廓は野面石を組み合わせた長さ1.74メートル、幅52〜32センチの寝棺で、枕部の方が広くなっている。枕石の上にほぼ完全な形で頭骨が残っており、一緒に直刀が出土している。また、付近の数多くの古墳が整地された際に直刀4振模造勾玉や高杯、須恵器等が出土している。

なお、現在この石廓は覆土されて保存されている。


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