新鶴村の文化財 -014/027page
宝キョウ印塔
昭和53年2月 村重要文化財指定 所在地 新鶴村大字和田目字沢田乙749(多勢寺境内) 管理者 沢田部落 宝キョウ印塔はインドに発して中国に渡り、奈良時代には我国にも伝えられたものであり、本来「宝キョウ印陀羅尼経」を納めるために造られ、五輪塔や板卑と同様の供養塔であったが、平安期頃より墓石として用いられるようになった。
沢田の宝キョウ印塔は、もと村東 小沢田北の太子堂跡より出土したものを、現在地に移し保存している。
全体的に調和が美しく、特に馬耳形は直立して古さを表しており、方座の部分には、「発心門」「菩提門」「修行門」「涅槃門」を示す梵字が彫られている。形態から南北朝頃のものかと見られる。
最下部の台座 (蓮座)は掘り出す事ができなかったが、二番目の台座(高さ30センチ)があり、全高95センチである。
角塔婆の梵字
(上から空、風、火、水、地を表わす)