新鶴村の文化財 -016/027page
館ケ曽根山城
所在地 新鶴村大字沼田字館ケ曽根乙878 所有者 五十嵐杢左衛門氏 会津地方の城は、鎌倉初期の頃より築かれたと言われている。当時の城は、近世の城のように石垣を積み、堀をめぐらすものではなく、自然の険阻な地形を利用して築き、戦いの時の本陣として防戦に利用したにすぎない。
入田沢館ケ曽根の山城は、部落の西方400メートル程の地点に、西は柳津街道 (田沢川)と、南は月ノ沢川の三洲に整える標高約400メートル程の曽根山にある。項上には5アール程の平地があり、その廻り一段下がっては内郭、更に10メートル程下には外郭が作られている。また曽根伝いに西に100メートル程の地点には堀切があり、曽根を深く掘り下げ、敵の侵入を防いでいる。
会津の資料には、この山麓の平地に岩松山仏隆寺があったとあるが、山城については記述がない。
新鶴村の山城と柵
館ケ曽根山城 (人田沢)
築城年代等不明龍ケ嶽城(大谷地)
安土桃山時代
須田大炊守住む梁田柵
室町時代 藤倉長九郎住む根岸柵
構築年代等不明