新鶴村の文化財 -017/027page
染田舘跡
平成2年12月 村重要文化財(史跡)指定 所在地 新鶴村大字立石田字宮東329 管理者 梁田部落 新鶴村には舘跡が八ケ所、柵跡が二ケ所、山城跡が二ケ所があり、内十か所が会津の資料に記載されている。しかし、現在では農地及び屋敷となってしまい、舘跡では染田舘と沢田舘の二ケ所がその面影を残すだけである。
梁田舘跡は、東西40間、南北40間。現在の村社登我和乃神社境内と付近の民家が含まれ、また西縁に土塁の面影が残っている。高さ約2間、南へ約15間、幅約3間の的場と伝えられる遺構を持つ珍しい舘跡である。
舘主については、会津年表に「千代和泉守卜云り者住セスト云り」と見える。天文18(1549)年5月2日千代和泉守包直の石塔もある。葦名全盛期の舘跡である。
新鶴村の八舘
根岸中田舘 鎌倉時代 富塚伊賀守築住 入田沢舘 室町時代 武藤帯刀築く 逆瀬川舘 室町時代 平山十郎築住 境野舘 室町時代 小野大膳築く 〃 河原田豊前住む 安土桃山時代 佐藤平七住む 梁田舘 室町・安土桃山時代 千代和泉守住む 沢田舘 室町時代 沢田兵庫築く 沖中田舘 安土桃山時代 風間甲斐守築く 出戸田沢舘 構築時代等不明