新鶴村の文化財 -018/027page

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銅製経筒(下上野塚出土)

平成2年12月 村重要文化財指定
所在地 新鶴村大字鶴野辺字広町730(新鶴村公民館)
所有者 新鶴村教育委員会

昭和62年11月、出戸田沢部落下上野三号塚の深さ1.8メートルの遺構より銅版鍍金の経筒二口が出土した。

一号経筒は、筒身の全長10.3センチ、直径4.3センチ、重量88.0グラムで、全体として腐食は少なく、ほとんど完形であった。蓋には三花五葉の紋様が線刻され、筒身のニケ所に銘文が線刻されている。種子には双鈎体で十羅刹女の羅を梵字で表現してある。淡路国の常泉坊の奉納である。

二号経筒は、筒身の全長10.5センチ、直径4.5センチ、重量71.0グラム。筒身上部に付着していた布から、もとは麻布に包まれていたものと思われる。蓋に僅かに腐食孔が見られるが、全体としては保存のよい経筒である。蓋には四弁の花紋が線刻され、筒身には銘文と蓮華座に結迦扶座する如来像が刻まれており、甲斐国長雲坊が奉納したもので、旦那勝貞とある。中に紙片があったが、解読不能であった。

書写した仏典を経筒などに納め、土中に埋めるという埋経は、藤原道長が寛弘4(1007)年金峯山で行なったのが最も早い例で、弥勒菩薩信仰に由来している。

下上野塚の二口の経筒は、専門工人の手によって彫られたものが六十六部聖の回国修行者によってもたらされたものであるが、二号経筒のように円形の筒身に仏像を刻んだ例は、非常に珍しい。

共に室町時代(十六世紀)のものと推定される。

1号経筒蓋
1号経筒蓋

2号経筒蓋
2号経筒蓋

1号経筒
1号経筒

2号経筒
2号経筒


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