私たちの郷土 昭和村 - 005/099page
が運行され,昭和39年には正式に川口・田島間が運行されるようになりました。しかし,利用客(りようきゃく)が少なく,数年でこの路線は中止(ちゅうし)となっています。
昭和31年(1956年)5月23日,バスは大芦まで延長(えんちょう)され,あわせて,鉄道が川口まで開通しました。いちばん奥(おく)の大芦は最(もっと)も不便(ふべん)なところでしたが,このバスの開通によって人びとの足(あし)が確保(かくほ)されたわけです。日(ひ)の丸(まる)の旗(はた)を振(ふ)ってバスの開通を祝(いわ)った写真(しゃしん)が残(のこ)されています。
バスや鉄道の開通が,それまで歩きだけに頼っていた村の人びとの暮(く)らしに大きな変化(へんか)をあたえるようになります。どのように変(か)わったのかは,当時(とうじ)の出来事(できごと)などをお年寄(としよ)りの方(かた)から聞いて,記録(きろく)に残すことも大切でしょう。
このようにして,昭和村にもバスが走るようになりましたが,川口への道路は,「つなぎ」が雪崩(だだれ)の危険地域(きけんちいき)で,冬期間(とうきかん)はしばしば交通が途絶(とだ)え,村は「陸(りく)の孤島(ことう)」となってしまうことが何回もありました。当時の人びとの苦労話(くろうばなし)や危険な目(め)にあったこと,途中で村に帰れなくなってしまったことなど,たくさんの話を聞くことができます。
現在(げんざい)では,雪崩から道路を守(まも)るスノーシェッドなどがあちこちにつくられ,除雪(じょせつ)のためのブルドーザーなどもりっぱに備(そな)えられたので,交通が途絶えてしまうことは,ほとんどなくなりました。
バスがはじめて運行された昭和26年は,昭和村にとって忘(わす)れることができない大きな出来事がありました。それは,5月3日の下中津川部落の大火(たいか)です。役場(やくば),小学校をはじめ部落のほとんどが焼(や)けてしまい,国の災害救助法(さいがいきゅうじょほう)が発動(はつどう)されています。現在でも下中津川部落では,毎年(まいねん)5月3日に「無火災祈願(むかさいきがん)」を行(おこな)っています。