私たちの郷土 昭和村 - 006/099page
昭和小学校の誕生(たんじょう)
急激(きゅうげき)な社会の変化(へんか)により人口(じんこう)の都市集中化(とししゅうちゅうか)が進み,学校卒業後(そつぎょうご)の青少年者(せいしょうねんしゃ)の大部分(だいぶぶん)が昭和村からはなれ,村から若い人の働(はたら)く姿(すがた)が少なくなりました。そして,子供の数がだんだん減(へ)ってきたのです。そのため昭和47年(1972年)には,下中津川小学校をのぞく他(ほか)の3校は3〜4の複式学級(ふくしきがっきゅう)となってしまいました。さらに,4つの学校とも木造(もくぞう)で古(ふる)くなり,校舎を建(た)てなおさなければならない時期(じき)となりました。
村では,昭和51年に「小学校統合計画書(とうごうけいかくしょ)」をつくり,翌年(よくねん)の6月24日,村議会(そんぎかい)で統合が決議(けつぎ)されました。そして,昭和54年に現在(げんざい)の新しい鉄筋校舎(てっきんこうしゃ)および食堂(しょくどう),体育館(たいいくかん)が建てられ,翌年の昭和55年(1980年)4月1日から,統合小学校,昭和小学校がスタートしたのです。その年の学級は6学級,児童数(じどうすう)は180人でした。
やがて,昭和中学校も昭和59年(1984年)8月31日に現在の新校舎が完成(かんせい)し,移転(いてん)することになります。
国道(こくどう)への昇格(しょうかく)
昭和56年(1981年)4月,それまで県道(けんどう)であった金山・田島線(せん)が国道400号(ごう)として昇格し,昭和村にも国道が通(とお)るようになりました。