私たちの郷土 昭和村 - 082/099page
昭和村でジュンサイ栽培(さいばい)が始められたのは,昭和53年のことでした。それは,栗城義一さんが小野川湖よりジュンサイの苗(なえ)11本を手に入れ,新田奥(しんでんおく)の沼尻(ぬまじり)に植(う)えたことに始まります。しかし,この年植えられたジュンサイは水温調整(ちょうせい)がうまくいかず全滅(ぜんめつ)してしまいました。義一さんは,この失敗(しっぱい)を生(い)かし,翌年(よくとし)50本の苗を買い求(もと)め,ふたたびジュンサイ栽培に挑(いど)みました。義一さんの熱心(ねっしん)な研究(けんきゅう)とジュンサイ田んぼの改良(かいりょう)は続(つづ)きましたが,始めてから5年間は失敗の繰(く)り返(かえ)しでした。この間,義一さんと奥(おく)さんのミチイさんによるジュンサイ田んぼの改良工事(こうじ)は,とどまることなく続きました。
雪のない時期(じき)二人は,田んぼを深く掘(ほ)り下(さ)げ,山水(やまみず)をたくさん入れられるようにしました。また,山水は上の田んぼから下の田んぼというように同じ水を使うのではなく,山からわき出た「生きた水」をどの田んぼにも直接(ちょくせつ)入れるようにしました。そうすることで,真夏(まなつ)でも水温を低く一定(いってい)に保(たも)てるようになったのです。山が深い雪に覆(おお)われるころになると,二人は山から赤土(あかつち)を堀(ほ)り,そりに乗(の)せては汗(あせ)だくになりながら何度(なんど)も何度も田んぼに運び入れて肥(こ)えた田んぼに仕上(しあ)げていきました。
それまでは粘土質(ねんどしつ)の土であったためジュンサイはうまく育ちませんでしたが,こうした努力の末(すえ),今では昭和村の特産品の一つに数えられるジュンサイが生産されるようになったのです。
しかし、現在(げんざい)昭和村において,このジュンサイ栽培を行っている農家は唯一(ゆいいつ),義一さん夫婦(ふうふ)だけなのです。これだけ苦労(くろう)してここまで育て上(あ)げたジュンサイ作りです。いつまでも受(う)け継(つ)いでいきたいものです。