カラムシ資料集その1-002/028page

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歴史
日本書紀(六) 一部抜粋
持統天皇七年三月丙午条詔。令天下勸殖桑紵。梨栗。蕪菁等草木。以助五穀。(丙午(十七日)の日、詔して、天の下をして桑、紵、梨、栗、蕪菁等の草木を勸め殖ゑて五穀を助けしめたまひき。)
魏志倭人伝(239年) 滝沢洋之 訳注 一部抜粋
「人々は稲や1)紵麻を植え、桑を栽培し蚕を飼って糸をつむぎ、2)細紵・絹・綿を産出する」
1)紵麻は「麻の一種でその繊維は重要な織物材料として役立つ。」(『魏志倭人伝と古代帝年記』(阪本種夫・橋本郁夫共著・光風社)
紵麻は「韓紵(からむし)(『邪馬台国研究総覧』・三品彰英編著・創元社)
2)細紵は精妙な麻の意。
令義解巻三 一部抜粋
賦役令第十
麻二斤。熟麻十両十六銖。棄十二両。
郷社青苧神社誌 一部抜粋
本邑山中在号青苧地古此地植麻苧故以為地名有岩窟高一丈餘
農業全書 六之巻 一部抜粋
青苧
麻苧をうゆる事、先苗地を寒耕し、いかほどもよくこなし、塊少しもなく委しくこしらへ、濃糞を多くうちさらし置き、二月中旬麥畦のごとく畦作りし横にせばく筋をかき、種子を薄く蒔き、土をいかにも少しおほひ、又其上
に糠を少しおほひ置くなり。生出でては先づ草ながら生立てをき、根よく出來て後中を削りて痛むまじき時、かるき鍬にてさらさらと削り、草を殺しやがて糞を置くべし。馬屋ごゑ其外何にても多くをくべし。糞すくなければふとりかぬる物なり。
種子を蒔きて明る年、苗ばらひをして又こゑを多く人れ、芸り中うちしをき、三年目より苅取る物なり。尤冬雪霜に痛まざる様に、馬屋糞など一尺も厚くおほひ、春になりてはかきのけ芸り、又糞を入れをきて五月初め一鎌かり取り、六月半又一鎌八月一鎌以上三度かる物なり。中の度を上とすべし。
はぎとる事、中よりをしおれば、皮は二筋になりて木は本末へげてのく物なり。さて其皮を日の當らざる所に置きて、水に漬くるか、池川なくば井の水を汲みかけてぬらし、竹刀を以て丙の方よりこげば、却て上の皮よくのく物なり。いかにも懇にこきて其後上中をゑり分け、さらし干し上げて百目宛を一把とするなり。是は芳野にて作りこしらへ立つる大がい概なり。
又農政全書に見えたるは、麻苧をうゆる地はさのみ深からず細砂の地よし、数遍耕しこなし、畦を作る事廣さ三尺餘、長三間許りにしてこゑを入れ、重ねて又うち細かにし、平かにならし、上をかるく踐付け、或いは鍬のうらにてたゝき付け、引きならし、地のうかざる様にして其上より又水をそゝぎ二度かきならし一夜をき、畦に水をひいらせ、明る朝又かるくかきならしおこして種子一合をしめりたる砂五合ともみ合せ、是を六七畦にちらし蒔きて、土はおほふべからず、土をおほへば生へかぬる物なり。さて畦に棚を一尺ばかりにひきくかき、日おほひに細かなる箔をかけ置き、六七月極熱の時は箔の上に又苫かこもをおほひ、又箔の上より細き帯を以て水をそゝぐべし。常に其下のしめる事よし。曇りたる日尤夜などは覆ひを去るべし。苗生出でて苗あらばぬき去るべし。苗高さ三寸ばかりならば棚を去るべし。若又此後も地かはきたらば水を少しかるがるとそゝぐべし。四五寸になりたらば移しうゆべし。
うつしうゆる地の事、いかにも肥良の地を深く耕し、埋糞をおほく入れて畦作り前と同じ。先苗の有る所に前の夜より水をそゝぎ、地をうるほし置き、

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