カラムシ資料集その1-007/028page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

ヌ語で蕁麻「いらくさ」を意味するmoseに通じる。
苧麻の訓の「カラムシ」
ムシmosi〔朝鮮語〕苧麻
mose〔アイヌ語〕蕁麻(いらくさ)
カラ 韓、唐
最上・米沢地方のカラムシについて 滝沢洋之 一部抜粋
カラムシの「カラ」は韓国の古代王朝である加羅(任那)を意味し、(ムシ)は朝鮮語のmosi(苧)の転用と考えられる。現在、中国では紵麻という文字を用いてzuma「チュマ」と発音しており、『魏志倭人伝」(二三九年)にも「紵麻」との記述があることから、魏の使者の辿ってきた壱岐・対馬・北九州にもかつてはカラムシを栽培していたのではないかと現地を訪ねて調査したところ、壱岐の支庁跡と考えられる「原の辻」遺跡や吉野ケ里遺跡周辺にもカラムシの繁茂しているところが確認できた。
また、現在のカラムシの生産地である沖縄県の宮古・八重山諸島でも、そのルーツは朝鮮からもたらされたものではないかと考えられている。
●昭和村
歴史昭和村の歴史 一部抜粋
青麻大権現 小野川原地区、諏訪神社参道左側にあるこの塔は、文久元年(1861)辛酉八月吉日同地区の二瓶茂八によって造立されたもので、〈青麻大権現〉は「仙台市石切青麻(アオソ)沢に祀られている青麻神社のことで、天之郷中主神、天照大神、月読命を祭神とし、更に伊豆伎老翁も祭祀しております。創建は仁寿二年(852)といわれておりますが、この年文徳天皇は、七道諸神社に、中臣忌部氏を遣わし奉弊した年ですので、これによったものと考えられます。京より来た穂積保昌という人が、この地に麻の栽培を教え、岩窟に、日月星の三光神を祀って青麻岩戸三光宮と称したことに始まるといわれている。伊豆伎老翁は斉臣のことで、石上宮の神主であったらしいので、物部系でありましょう。穂積氏は、ホムツから出たもので、ホムツ神事(陰暦8月1日)を司祭した氏族であり、農業管理者(技術者)であったと考えられます。物部氏系であり、祖神として、伊豆伎老翁を祀ったものでしょう。信仰については、中風の平癒や海上安全の利益があるということでしたが麻には関係ありません。ただ麻の実は、下剤や婦人の帯下(コシケ)の薬として用いられていました。中風平癒の信仰は、当山派の山伏によって岩窟に祀られた不動明王によるもので、四国岩屋寺のご利益を持込んだものと考えられます…略…」
(高田厚生病院院長・安部吉夫氏の書簡によるご教示)。
この<青麻権現>は、昭和村にも<麻神社>とよばれ石祠の形で祭祀されている(昭和村教育委員会刊「昭和村の年中行事〈シリーズ2〉」。昭和村に於いては、麻作りの神、はた織りの神、中風平癒の神として、いまも信仰があって、特に婦人層の信仰があついという(昭和村公民館・菅家氏からの御教示)。
小野川地区の、〈青麻大権現〉塔が、造立された理由はいま伝えられていないが、おそらく、昭和村の〈麻神様〉同様の信仰目的と解して良いであろう。
会津の苧麻と越後上布・越後縮 田辺真弓 一部抜粋
昭和村での言い伝えによれば苧麻の苗は奈良からこの地まで運ばれて植えられたとのことである。その後、十四世紀末の応永年間に領主芦名盛政は苧麻が換金作物として優れているとして領民の苧麻栽培を奨励し、それにより、十五世紀以降この地方は越後上布の原料供給地として重要な地位を占めるようになった。
からむし産業を支えるもの 菊地成彦 一部抜粋
武蔵野の一角から此の地に移し植えられて(略)

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は昭和村教育委員会に帰属します。
昭和村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。