下野街道(南山通り) -017/109page
第三章 沿道の文化財
(1) 三郡境の塚
この塚は「三郡境の塚」と伝えられるもので、現在も会津若松 市、会津本郷町、下郷町の境界となっています。
その昔「大内峠は涙で上る 泣いた涙が沼となる」と馬子たち に唄われたこの三郡境の周辺は、一、〇〇〇m級の山々が連なる 下野街道の中でもひときは険しい道でした。
会津藩は、この峠の険しさと積雪の多い土地柄を考慮し、毎年 十一月から翌年二月までの四ケ月間は、峠を継ぐ大内宿と関山宿 に、御定め賃銭の七割の増額を寛文元年(一六六一)から認めて います。
栃沢村から火玉峠を喘ぎながらよじ登ってきた馬子たちも、こ の三郡境の地で一息し、ふたたび大内峠の頂上目指し歩んだこと でしょう。
またこの地は、藩主通行の際の御駕籠引き受け地であったとも 口碑は伝えます。若松城を出立した参勤交代の行列は、大内宿ま で残り一里のこの地で、関山宿の人たちから大内宿の人たちへと 引き継がれ、参勤の途について行ったそうです。