下野街道(南山通り) -018/109page
(2)大内峠見晴宜敷場所(おおうちとうげみはらしよろしきばしょ)
この場所は、下野街道の中で若松城天守閣も含め、会津城下が はっきりと眺望できる唯一の場所です。この街道を通行した会津 藩主をはじめとして多くの旅人が、それぞれの思いを胸に振り返 った場所であったかもしれません。
戦国期には血なまぐさい甲冑武者が駆け抜け、末期には伊達政 宗や天下人の豊臣秀吉といった後世に名を残した人も歩いていま す。
江戸期に入ると、会津藩主の初代正之、二代正経、越後新発田 藩主や村上藩主もこの街道を江戸参勤の主街道としました。やが て参勤路は白河街道となりますが、時には参勤交代をしのぐ千人 を超える国目付一行もこの峠を越えています。幕末には若き吉田 松陰が帰路として、戊辰戦争の際には芸州藩士を主隊とする西軍 二千人が若松城へと向かったのもこの街道でした。
そして何よりもこの場所は、これら歴史上に名を残した人々だ けでなく、毎日のようにこの峠を登り下りした馬子たちにとって、 感慨深く城下を眺めた場所であるに違いない。