下野街道(南山通り) -020/109page

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(4) 大内峠の茶屋跡

一 大内峠見晴宜敷場所、茶屋前々之通、手軽ニ御駕籠御  立場設け候事。但し治定之所ハ申達置候間追而可申聞  候。

一 右御小休場所御設入用之陣桐油、雪菰、手桶、柄杓、  茶碗之類御貸渡之儀、申達置間、追而可申聞候

 これは文政十年(一八二七)四月、会津八代藩主松平容敬公が 下野街道を通って江戸から下向するに先立ち、正月二三日、郡奉 行から郡中各郷に出された触書の一部です。

 南山地方にとって、藩主通行は実に百数十年ぶりの出来事であ り、検断は早速郡奉行に伺書を提出した。これに対し郡奉行は、 有り合わせのものを用い必要以上の入費は掛けないこと。特に食 事についてはその土地の物で差し支えないことを命じ、新設、修 理を要するものは藩が費用を負担すると答えています。実際、藩 主一行の大内宿での昼食を見ると、本陣で出された献立は、砂鉢 (うこぎ)、重物(しいたけ、きくらげ、すず子、わらび、里いも)、 八寸砂鉢(いわなの焼きびたし・しようが)、吸い物(浜焼き・ せんとうふ)と記されおり、出された食べ物は全て土地の物で質 素であったことが伺えます。

大内峠の茶屋跡


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