下野街道(南山通り) -025/109page
(8) 桜木姫墳
大内集落での最大行事の一つに半夏(はんげ)まつりがあります。村の西、 大きな杉木立の中にある高倉神社の祭礼です。
村人は祭り前日から境内や沿道を清掃し、身を清めて宮に入り 御篭(おこも)りをします。翌朝、ご神体は屋根に菊と桐の紋章を配した御 輿に移され、総勢六十名の行列となって村を練り歩くのです。この高倉神社に祀られているのが、高倉宮以仁王(皇位七十七 代後白河天皇第二王子)です。以仁王は治承4年(一二八〇)源頼 政とともに平家討伐に蜂起しますが失敗し亡くなっています。し かし大内では、宮は生き延びて大内の地に立ち寄り、その後、越 後国へと旅立ったとされる伝説があり、大内という集落名も、以 前は「山本」であったものを宮中の大内裏(だいり)にちなんで「大内」と 変え、「春は喜 秋は錦の紅葉山(もみじやま)あづまの都 大内の里」という詩も 残っています。
櫻木姫は以仁王に従って会津に入った一人と云われ、長旅の疲 れから十八歳の若さで亡くなり、以来、遺体を葬ったこの地を 「御側原」と呼ぶようになったと伝えています。
なお、毎年開催される半夏まつり(毎年七月二日)には、社棟を 異にする櫻木姫霊碑にも注連が張られ、同格に祀られていること はいうまでもありません。