下野街道(南山通り) -028/109page
(12) 馬頭観世音碑
江戸時代は駄馬輸送でしたから、宿駅では一戸当たり一頭から 二頭、中付駑者(なかつけどしゃ)は三頭から四頭の馬を保持し、駄賃を貰って生活 の糧としていました。
正徳二年(一七一二)の資料によると、大内宿から倉谷宿まで二 里二町(約九km)の廻米輸送賃は、一駄(一二〇kg)につき四九文とな っています。
馬は貴重な存在であり、このため馬頭観世音は広く信仰さるよ うになり、町内の各所にも数多くの石碑を見ることができます。
この碑はその中でも大型のものであり、竿石(さおいし)の高さは一間(約 二m)、台石の重さは約三トンと推定され、後背には安政六年(一 八五九)五月の刻字も見えます。
(13) 中倉一里塚跡
中倉一里塚は、起点である会津城下「大町札の辻」から七里の 位置にあたります。
県道が拡幅されると同時にその形をなくしたと云われます。