下野街道(南山通り) -031/109page
(16) 矢ノ原一里塚跡
矢ノ原一里塚は、起点である会津城下「大町札の辻」から八里 (約三三km)の位置にあたります。戦前まで片方が残っていました が、戦時中の食糧増産時に開墾され、その姿を消しています。
(17) 楢原宿
楢原宿の宿駅整備を知る資料としては、本寺圓福寺所蔵の「楢 原宿古絵図」があります。
絵図は、旧街道を挟んで東町二二戸、西町二二戸の町割りがな され、寛永十七年(一六四〇)二月二四日の墨名があることから、 寛永年間には楢原宿も宿駅として機能していたことが伺いしれま す。楢原村は中世の奈良原郷の中心地で、江戸時代には楢原組の郷 頭もこの村が勤めています。また、この宿には貞享年間(一六八四 〜)から筏(いかだ)師が置かれ、流木は大川を使って上郷(田島町)から若松 に流し、長野の渡しから飯寺の渡し迄金一分一〇〇文となってい ます。
昭和十八年(一九四三)の大火により古い町並みは焼失したが、 敷地割などは旧態を良く留めています。