下野街道(南山通り) -034/109page

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第四章 保存整備事業の概要

第一節 事業に至る経緯

 昭和六十年(一九八五)、新下野街道ともいうべき県道下郷・本 郷線の道路開設工事が、氷玉トンネルの起工とともに開始された。

 事業概要は、大内峠部分は大内ダム湖の北側最端からトンネル を掘り、三郡境の塚に出て旧街道を進み、六石山の北嶺西側中腹 を北に進み、その後蛇行しながら下って本郷町の栃沢集落に結ぶ という計画である。

 この事業計画は、関係市町教育委員会と協議はなされておらず 平成三年五月、地域住民から「道路改良工事によって三郡境の塚 や石畳の道が無くなる」と連絡を受け、下郷町教育委員会は担当 職員を現地に派遣した。開設工事は、三郡境の塚まで数メートル の所まで進められ、そのまま旧道を進む計画であることが分かっ た。事態を重く見た下郷町教育委員会は、工事の漸次休止と福島 県教育委員会に現地調査を依頼し、下野街道の保存に向けて福島 県田島建設事務所と保存協議に入った。

 当該地区は、下郷町、会津本郷町、会津若松市との境界となり、 三郡境から南側は下郷町に属する。

 平成三年八月二二日、田島建設事務所から文化財保護法に基づ く「遺跡発見通知」が会津教育事務所長、福島教育委員会教育長 を経由して文化庁に提出された。

 道路の方線も変更され、三郡境の塚や石畳が残る旧道は開削を まぬがれたが、既に開削工事が完了した三郡境から高清水間約三 五〇mは県道となった。また、会津本郷町に入ったケ所において も旧道と交差することが避けられず、会津本郷町教育委員会は記 録保存のため発掘調査を行っている。

 このような時期、本町の他の旧街道筋においても、林産物の搬 出や工事用仮設道路の開設から、部分的に拡幅されたり、或いは 削り取られるといった出来事があり、旧街道の保護を図るために は、広く町民に周知することが必要と考えられ、平成七年度より 事業を実施した。

 下野街道は、昭和五八年度に福島県教育委員会が、会津若松を 起点とする「歴史の道」として調査をした中の一本で、「白河街 道」「越後街道」「米沢街道」「下野街道(南山通り)」として報告が なされている。

 この報告書に基づきながら、下郷町教育委員会は文化庁、福島 県教育委員会の指導を受け、五ケ年計画で事業を実施した。

第二節 整備事業の基本方針

一整備対象地区
 旧街道「下野街道」の整備対象は、三郡境の塚(下郷町、会津 本郷町、会津若松市)から長野の渡し(田島町)までの町内に存す る旧街道全路線を整備対象として考えるが、途中の部分で現道 と重なる部分については路線整備の対象とはしない。

 特に倉谷宿より南側部分については、現在県道、林道、国道 として利用されており、旧街道の道筋が残っていないため、道 路沿いの主要な文化財に説明版あるいは道標等によって旧街道 の道筋が理解できる程度の整備に留める。


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