わたしたちのきょう土 下郷町-105/116page

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年号 下郷町のできごと 世の中のできごと
明治13年(1880) ○楢原小学校が豊成小学校、倉谷小学校が栄富小学校と校名を改めた。 ○福島県の小学校の就学率が,45.6パーセントになった。
15年(1882)   ○安積そ水が開通した。
○三島通庸が県令(今の知事)になった。
16年(1883) ○松川小学校南倉沢分教場ができた。  
○役場の区画が改正され、栄富に戸長役場がおかれた。
17年(1884) ○日光街道(今の国道121号線)が開通した。  
○中妻小学校ができた。
18年(1885)   ○内閣の制度ができた。
19年(1886) ○音金分教場の仮校舎ができた。 ○帝国大学令、小学校令、中学校令、師範学校令が公布された。
○義務教育が4年になった。
20年(1887) ○大内小学校、音金小学校、戸赤小学校、塩生小学校ができた。 ○東京に初めて電灯がついた。
○松川小学校は塩生小学校の分教室となった。 ○このころから、各地で運動会がひらかれるようになった。
21年(1888)   ○磐梯山が噴火した。
22年(1889) ○町村制が実施され、楢原、旭田、長江、二川の四つの村ができた。 ○大日本帝国憲法が公布された。
23年(1890) ○学区が改正された。 ○第1回の帝国議会がひらかれた。
○旭田小学校ができ、中妻、大松川、南倉沢、音金、落合が分教室となった。
○楢原小学校ができ、豊成、戸赤、大内が分教室となった。
26年(1893) ○栄富小学校が新築された。 ○吾妻山が噴火した
○「君が代」が国歌になった。
27年(1894)   ○日清戦争が始まった。
29年(1896) ○大内分教室が新築された。 ○田島が町となった。

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