わがふるさと舘岩村-092/117page

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▼明治3年(約130年前)の米のとれ高(生産量) (郷土史より)
役高書上帳 会津郡熨斗戸組23ヶ村
明治3年6月 触継星与惣佐衛門
一、高127石6斗67合 熨斗戸村 27軒106人 肝煎久米右衛門
一、高62石4斗5升9合 戸中村 13軒54人 肝煎雲吉
一、高161石4斗7升8合 森戸村 35軒180人 肝煎林左衛門
一、高123石7斗2升2合 伊与戸村 16軒88人 肝煎雲吉
一、高61石5斗9升6合 木賊村 11軒60人 肝煎覚之丞
一、高18石5斗7升3合 川衣桁 11軒48人 肝煎覚之丞
一、高38石3斗9升1合 吉高村 3軒6人 肝煎覚之丞
一、高34石5斗1升4合5勺 押戸村 3軒10人 肝煎栄助
一、高73石9斗1升 貝原村 19軒89人 肝煎市右衛門
一、高37石4斗3升1合5勺 角生村 5軒28人 肝煎市右衛門
一、高29石7升2合 水引村 14軒78人 肝煎与惣左衛門
一、高45石9斗4升3合 湯ノ岐村 23軒111人 肝煎与惣右衛門
一、高60石6斗3升 穴原村 9軒42人 肝煎喜左衛門
一、高14石2斗2升4合 助木生村 3軒小屋117人 肝煎甚五右衛門
一、高18石9升2合 小高林村 13軒55人 肝煎甚五右衛門
一、高24石8斗8升1合 田ノ瀬村 5軒26人 肝煎甚五右衛門
一、高37石7斗1升7合 前沢村 10軒46人 肝煎甚五右衛門
一、高32石6斗3升7合 福渡村 11軒50人 肝煎甚五右衛門
一、高186石8斗3升2合 塩ノ原村 28軒122人 肝煎金作
一、高91石8升2合 岩下村 10軒32人 肝煎栄助
一、高55石1斗8升7合 精舎村 10軒34人 肝煎雲吉
一、高66石7斗1升4合 井桁村 9軒24人 肝煎雲吉
一、高64石6升2合 八総村 19軒103人 肝煎雲吉
◎合計1505石3斗7升8合 23ヶ村305軒1409人 右石高は総高なり(差引なし)
○1石=150kgとして計算してみよう。どのくらいの量になるだろうか。家の数は?
(1石=10斗
1斗=10升
1升=10合)


▲江戸時代のいねこきのようす。

○明治の初めのころはまだこれと大して変わらなかったと思われます。
○このころは,米作りには人手が大変にひつようなので,となり近所親せきの人たちがみんなで助け合ってやりました。

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