わがふるさと舘岩村-094/117page

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(2)高杖原の開発
○保城へ
今から約200年前のころ,森戸村は他村からの木地師を受け入れることをかんげいしていました。それで,戸板小屋(現在の針生地区)からの移動を心よく受け入れました。そして,保城は雪も浅いし,土地もよいと話してくれた。その時移り住んだのは7軒でした。

▼手ろくろを回し,自分で作ったかんなでおわんを作っているところです。これらは,針生に送られ,さらにそこから,会津若松へ送られ,会津しつ器となっていきました。


○保城の戸数について
●1795年(約200年前) 7戸
●1827年(約170年前) 10戸
●1845年(約150年前) 10戸
●1857年(約140年前) 16戸
●1877年(明治10年)  18戸
●1882年(明治15年)  18戸
●1938年(昭和13年)  23戸
●1953年(昭和28年)  29戸

●木地師とは,とちやぶななどの原木から,おわんやおぼんなどを作っていた人たちです。大きな木がひつようなためにどうしても山の中での生活になりました。米やみそなど生活にひつようなものは里の方から買っていました。

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