わがふるさと舘岩村-095/117page

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○高校原への移住
●1941年 (太平洋戦争始まる)食料の入手むずかしくなる。
●1944年 木地職をやめる(炭を焼くように役場より命令)
●1945年 (終戦)木地製品売却中絶,衣食住どれにも苦労する。地区民一同,が死する状たい。戸数23戸
●1948年 一同総決起大会を開く,木地職では生活の安定が期たいできないと考え,農業にむかうことを決める。開たく農業協同組合の結成を考え,開たく開こんを志す。県知事にきょ可しんせいをせい願する。
●1950年 開たくきょ可が出る(土地は,国有林→県へ)
開たく開こん農業共同組合結成,高杖に集だん入殖。(初代組合長・小ぐら信ご氏)
●1951年 住たく建ちく1戸
●1952年 住たく建ちく14戸
●1953年 住たく建ちく12戸 水路開たく道路完成
●1954年 住たく建ちく2戸 電気が引かれる。引っこし完りょう。
(計29戸)
(南山木地師「戸板集落に生きてきた人たち」より)(安藤紫香著)

開たく地 高校地区
▲開たく地 高校地区

スキー場ができる前の高杖地区
▲スキー場ができる前の高杖地区

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