わたしたちのきょう土 只見町-120/130page

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年号 町のできごと 参考事項
明治39年(1906) ・只見郵便局がひっこす。  
明治40年(1907) ・小林小学校で,ベースボール・テニス・フットボールをはじめ,村に広まる。  
・義務教育が6年になり,高等科は2年となる。
明治40年(1908) ・ち水工事や,耕地整理がはじまる。  
明治42年(1909) ・塩沢て塩をとることをやめる。 ・塩沢では,昔から塩水をくみ水を蒸発させて,塩を作っていた。
・養蚕組合が各地区にできる。
・田や畑を馬でたがやすようになる。
明治43年(1910) ・伊南川が大洪水になる。 ・南会津地方の鉱石は,銅鉱石が多い。
・鉱山かさかんになる。 ・鉱山で仕事をする人が1000人以上もいた。
明治44年(1911) ・小林・黒谷・只見の局で電信ができるようになる。  
・小林小学校が改築される。
大正元年(1912) ・各村に青年会がつくられ活躍する。 ・日本が初めてオリンピックに参加する。
・朝日座が各地て歌舞伎を上演する。
大正2年(1913) ・大雨・大洪水・大凶作の年となる。熊倉分校や川すじの田畑がほとんど流される。 ・このころの人々は,大部分が農業を営んでいた。副業に,養蚕や炭焼きが行われていた。
大正3年(1914) ・生糸のねだんが下がる。 ・第一次世界大戦がはじまる。
・生活が苦しくなる。 ・只見から一番近い駅「野沢」までが60キロメートルあった。
・岩越鉄道が開通する。
大正5年(1916) ・ちょうチフスがはやる。  
・物の輸送に馬車が使われるようになる。
・大洪水がある。
大正6年(1917) ・伊北小学校の新しい校舎が上ノ原にできる。 ・講演会がはやる。 ・このころ只見・黒谷・小林に本校,布沢・二軒在家・熊倉・石伏・蒲生・塩沢に分校があった。学校から遠い児童生徒は,冬になると寄宿舎に泊まっていた。青年たちは,夜集まって勉強していた。
大正7年(1918) ・生糸や米のねだんが高くなる。  
・教育費が国から出るようになる。
・このころ敬老会・雄弁大会・品評会・運動会などが盛んにおこなわれる。

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