わたしたちのきょう土 只見町-122/130page

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昭和15年(1940) ・品物の配給制度がはじまる。 ・ぜいたくを禁止する命令が出る。
・明和村ができる。 ・国民服を着るようになる。
昭和16年(1941) ・小学校が,国民学校になる。 ・太平洋戦争がおきる。
・校庭が,畑や防空ごうになる。
・会津宮下まで汽車が来るようになる。
昭和17年(1942) ・田子倉分校ができる。 ・空しゅうが多くなる。
昭和18年(1943) ・黒谷や田子倉の鉱山がさかんになる。  
昭和19年(1944) ・戦争がはげしくなる。 ・子どものそ開がはじまる。
昭和20年(1945) ・食物や着物が不足し生活が苦しくなる。 ・広島や長崎に原子爆弾が落とされる。
・物々交換がおこなわれる。 ・第二次世界大戦がおわる。
・この戦争で,只見でも3%人もの人が亡くなる。
昭和21年(1946) ・青年団ができる。 ・田島に大火があって455戸が焼ける。
・日本国憲法が公布される。
昭和22年(1947) ・インフレと食料不足がつづく。 ・このころ,米が不足してご飯に,うつぎ・やまぶどうの葉・かぼちゃ・あかざ・わらひなどを入れて食べた。衣類も手に入らず,メンヨウをかって毛糸をつむいだ。
・村長・議会議員の選挙が20歳以上の男女によって行われる。
・婦人会ができる。
・6・3・3・4の学校制度にもり義務教育が6年となる。
・新制中学校ができる。
・台風で大きな被害を受ける。 ・教科書などは,新聞紙のようだった。
・農業協同組合が作られる。 ・演芸会や素人しばいがさかんになる。
昭和23年(1948) ・小・中学校にPTAができる。 ・県に教育委員会の制度ができる。
・台風で洪水の被害を受ける。
昭和24年(1949) ・学校が五日制になる。(27年まで) ・満年令が使われるようになる。
・保温折衷苗代を作りはじめる。 ・このころスポーツ熱がさかんになり,野球・陸上等の大会が村をあけて行われる。
・朝日中学校の新しい校舎ができる。

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