わたしたちのきょう土 只見町-123/130page

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年号 町のてきごと 参考事項
昭和25年(1950) ・只見・明和中学校が新築される。  
・公民館が各村につくられる。
・伊北村役場を改築する。
・南会西部高等学校只見・朝日分校が開設される。
・蒲生で火事があり15世帯が焼ける。
昭和26年(1951) ・南会西部高等学校明和分校が開設される。  
昭和27年(1952) ・伊北村を只見村と改める。  
昭和28年(1953) ・テレビ放送が始まる。 ・ダムを作るために田子倉集落約50軒が水の底に沈む。村には,映画館・食堂・店がふえ,ダム景気といわれる。
・田子倉発電所の着工式が行われる。
・耕運機が使われはじめる。
昭和29年(1954) ・明和村役場庁舎ができる。  
・朝日小学校力里合字舘から現在地に移転する。
昭和30年(1955) ・只見・明和村が合併して只見村ができる。 ・中間の朝日村が合併できなかったので,飛び地合併となる。
・只見に簡易水道がてきる。 ・この年の人口が,13,106人と最高になる。
・梁取成法寺の木造聖観音座像が県重要文化財に指定される。
昭和32年(1957) ・田子倉専用鉄道が開通する。 ・日本が国際連合に加入する。(31)
・只見中学校の体育館が完成する。 ・南極に昭和基地ができる。
・このころから除草剤が使われはじめる。
昭和33年(1958) ・大水害がおきる。(台風21号・22号) ・ソ連が初めて人工衛星を打ち上げる。
・ミルク給食が始まる。
昭和34年(1959) ・朝日村が合併して只見町になる。 ・町では,教育施設の充実,農業の発展,災害の復旧,道路や橋の建設などに力を入れる。
・朝日地区で水道工事が始まる。
・朝日、民館診療所力新築される。 ・滝ダム建設で,塩沢・十島・寄岩の民家92軒が水没する。
・滝港電所工事が着工される。
昭和35年(1960) ・田子倉発電所が完成する。 ・NHKがカラーテレビの放送をはじめる。
・町営住宅の建築が始まる。 ・このころから,そば・だいず・さつまいもにかわって,いんけん・スイートコーン・ホップなとすぐにお金にかえられる作物の栽培をする農家が,ふえてくる。
・NHKラジオ中継所ができる。
・只見町役場庁舎が完成する。
・只見町商工会が設立される。

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