相馬市市勢要覧 -008/050page
相馬市40年 その足跡(平成編)
- ●平成元年(一九八九)
- 常磐道いわき四倉−相馬間が基本計画路線に昇格。市制施行35周年記念式典を挙行。 デイ・サービス事業の開始。台風13号による記録的な集中豪雨で過去最悪(18億7千万円) の大被害。中核工業団地の予約分譲開始。
- ●平成2年(一九九〇)
- 十代目市長に今野繁氏。相馬港か無線検疫対象港に。 公共下水道が一部供用開始。相馬共同火力新地発電所建設着工。松川浦大橋建設着工。
- ●平成一年(一九九一)
- 真野ダム完成。流山市民ふれあいセンター「相馬ユートピア」オープン。 常磐道相馬−亘理間が基本計画路線に昇格。相馬タワー完成。
- ●平成4年(一九九二)
- 相馬工業用水道営業開始。市民号が日中国交回復20周年を記念し中国へ。
- ●平成5年(一九九三)
- 十一代市長に今野繁氏。相馬中核工業団地進出企業操業開始。 相馬港・エネルギー港湾完成。相馬総合卸売市場完成。
- ●平成6年(一九九四)
- 市制施行40周年記念式典を挙行。三笠宮杯ツール・ド・とうほく開催。
- ●平成7年(一九九五)
- 松川浦大橋開通。相馬振興公社駅ビル「振興ビル」完成。 運輸省練習帆船「日本丸」寄港。第50回国民体育大会「ふくしま国体」 ソフトボール競技大会「成年男子1部・成年女子の部」、 第1回松川浦大橋ふれあいマラソン大会開催。
- ●平成8年(一九九六)
- 松ケ房ダム貯水開始。相馬方部衛生組合「一里壇火葬場」完成。
名誉市民
佐藤 玄々(さとう げんげん)
彫刻家 一八八八〜一九六三
市内中野に生まれ、木彫を父に学ぶ。山崎朝雲に 師事し朝山と号す。フランスに渡り、ブールデルに師 事。帰国後、芸術院会員になる。昭和21年から玄々と 号す。昭和35年に天女像が完成。草野 俊助(くさの しゅんすけ)
理学博士 一八七四〜一九六二
市内坪田に生まれ、東大理学部卒業後、ドイツ、 イタリア、アメリカに留学。帰国後、東大教授、同 名誉教授になり、昭和21年日本学士院会員になる。今野源八郎(こんの げんぱちろう)
経済学博士 一九〇六〜
市内坪田に生まれ、東大経済学部卒業後ワシソト ソ大学院をへて中央大、東大、弘前大の各教授を歴 任後、東大名誉教授になる。現在は、日本交通政策 研究会会長を務めた。相馬 恵胤(そうま やすたね)
相馬家32代当主 一九一三〜一九九四
学習院高等科を経て、昭和15年に東大文学部卒業 後、宮内庁事務官になる。市に二の丸球場及び長友 グラウンドなどを寄贈したはか、相馬野馬追祭の振 興に大きく貢献している。