新地町の文化財ご案内 -003/017page

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め、日本考古学協会縄文式文化の編年研究特別委員会により発掘された。また昭和29年に、 東京大学人類学教室により発掘調査が行われた。

 2回にわたる調査の結果、百数十体の埋葬人骨が出土した。

 人骨は、屈葬、伸展葬、幼児のカメ棺葬など多彩で、中には頭部を寄せ集めて円形に埋葬 したものもあった。また、家犬の埋葬骨もあった。

 これらの埋葬骨からの推定で、平均寿命は男性29.2歳、女性31.1歳とされた。

 出土品は、石鏃(せきぞく)、打製石斧(だせいせきふ)、石錘(せきすい)など。また特色あるのは骨角器で、銛(もり)が最も多く、骨鏃、 骨針、つり針などが多く出土している。その他、土偶、土版、耳飾、硬(こう)玉、ヘアピン、腰飾 などが出土した。

 昭和51年から55年にかけて、この地域がほ場整備事業計画に含むため、周縁部の「三貫地 遺跡」を町教育委員会により発掘調査を行った。

 この結果、縄文中期の複式炉、後期初頭のカメ棺墓、晩期の完形土器を含む多量の遣物包 含層をはじめ、古墳時代前期の竪穴住居跡を含む奈良、平安時代の竪穴住居跡群、平安時代 以降の掘建柱建物跡など、遺構、遣物が発見され、重要な複合遺跡であることが判明した。

 また、平成8・9年に町道改良事業に伴い西縁部の発掘調査を町教育委員会において行っ た結果、7・8世紀の竪穴住居跡などのほか、土師器(はじき)、須恵器(すえき)、瓦塔(がとう)、 円面硯(えんめんけん)などが出土した。

 縄文遺跡については、このほか主なるものとして福田に「朴木原」、「新田」遺跡、真弓に 「薬師」遺跡、杉目に「川窪」、「畑中」遺跡、駒ヶ嶺に「ソリ畑」遺跡などがある。




古   墳

   
名 称「雀塚古墳群」
所在地小川字二羽渡

概 要

 小川地区の西北方、標高約20メートルの丘陵上にある。この周辺に小川地区の墓地、ま た東方に二羽渡神社、あんこ地蔵尊などがある。

 田辺希文の「封内風土記」(1769年)の小川邑の項に『古塚凡ソ三、各高サ一間、広サ五間、 共に雀塚卜号ス云々』とある。

 二羽渡神社の境内には、半分削除された円墳1基、西方目黒氏宅裏山に1基、さらに北方

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